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東京マラソンで瀬古利彦さんの解説とエピソードは楽しい! [スポーツ]

東京マラソンで瀬古利彦さんが解説していました。
その横を走った私は幸せいっぱいでした。
瀬古利彦さんの解説やエピソードで、
「私は練習で走ったすべての距離は地球を3周しています」。
これには驚きです。
1周4万キロですので12万キロということです。
たくさんのエピソードを紹介しましょう。



★株式会社ほくせいの社史の中に出てくる瀬古家
喜代政は、明治27年四日市上海老町の生まれ。
尋常小学校卒業後、自分の母親の実家(現在の桑名市友村)の瀬古家をたどり、その親戚で製麺業を営んでいた「カネ辰」(現在の「岩谷パン」)に丁稚奉公に入る。
余談ではあるが、後にこの瀬古家からマラソンランナーの瀬古利彦選手が誕生する。

http://www.soso.co.jp/outline/


★瀬古利彦さんの自己ベスト
1983年 東京国際マラソン 2:08:38 優勝
現在のランナーの記録は残念ながら届きませんよね。


★瀬古利彦さんエピソード【1】
瀬古利彦さんは、落語家の六代目三遊亭圓楽(前名:三遊亭楽太郎)とお顔がそっくり。
当時の三遊亭楽太郎は随分と瀬古の格好儲けさせてもらったと話している。
いまでも楽太郎とは交流があり、2010年3月の六代目圓楽襲名披露パーティーにも特別ゲストとして招待されていた。

 
★瀬古利彦さんエピソード【2】
歯に衣着せないリップサービスで、大失敗?
2007年12月より、米長邦雄さんの後を受けて東京都教育委員に就任した。
このときに起きたちょっとした事件。
大原正行教育長に瀬古利彦さんが発した言葉が
「教育委員はキャバクラに行っちゃダメなの?」
といつもの冗句飛ばして物議を醸した。

http://www.s-rights.co.jp/lecture_schedule/



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★瀬古利彦さんエピソード【3】
早稲田大学時代の中村監督との猛特訓のエピソードは有名な話です。
中村清監督の特訓により、
「当時大学時代には友達が1人もいなかった。」
と瀬古利彦さんは語っている。


★瀬古利彦さんエピソード【4】
最近はよくおしゃべりをする、お笑いスターみたいな瀬古利彦さんですが、
現役時代を振り返って驚きのコメントをしました。
「現役時代にあまりおしゃべりしなかったのは、
性格を解らせないために戦略としてだった。」とコメントした。
メンタル部分は影響するマラソンであることがわかりますよね。


★瀬古利彦さんエピソード【5】
瀬古利彦さんは、お見合いの席でジャージにサングラスでお見合いをしたらしい。
お見合いのお世話をしてくださった人に
「お見合いの時には気楽に普段着できてください。」
と言われたそうで、ジャージでもいいと思って行ったといわれてました(笑い)。


★瀬古利彦さんエピソード【6】
瀬古利彦さんは中村監督以外は眼中になかった人なんですね。
「人の話を聞くのは得意じゃない。中村監督の言うこと以外は聞かない。」
とコメントした。
突出したアスリートですから、
このことからも普通の人には理解できない神経があるように思えます。


★瀬古利彦さんエピソード【7】
瀬古利彦さんが教え子の食事を奥様が料理を作ってサポートしていた。

https://youtu.be/EVrDjQB_3-0


★瀬古利彦さんエピソード【8】
瀬古利彦さんが次のようなコメントをされています。
「オリンピックで金メダルをとるためには「運・鈍・根」が必要とのこと。
鈍とはいい意味での鈍感ということである、根は根気でしょうね。」
瀬古さんのこの言葉はいいですね。

瀬古さんが優勝候補と言われながら、
オリンピックで体調が万全でなく、
力をだすことができなかったこと、
尊敬する恩師中村清監督の逝去、
監督時代の時にSBと早稲田の合同合宿で、
北海道で思いもかけない自動車事故。

ちょっと弱ったときには
「人間は一つのいいことで生きていける」。
瀬古さんがいつも栄光だけで生きてきたわけだはないことに共感しました。
誰だって波乱万丈でしょうね。




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