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笑点の司会は?桂歌丸今後は三遊亭円朝を学ぶ! [ゴシップ]

笑点の司会に区切りをつけた、桂歌丸師匠に今後のことについて聞いてみた。
 歌丸 落語をやる以外に何もない。覚えるだけ落語を覚えて、毎年、(三遊亭円朝ものを年2回くらいずつ、発表したい。もう、3本くらいストックしてある。その3本を発表しなければいけない。(Yahooニュース)
そこで、三遊亭円朝をしらべてみました。

桂歌丸.jpg

初代三遊亭円朝(1893~1900)

 天保10年(1839)4月1日、音曲師の初代橘家円太郎長男として、江戸湯島切通町で産まれる。本名出淵 (いずぶち)次郎吉。7歳のとき、小円太と名乗り初高座を勤めた後、二代目三遊亭円生の門人になり、安政2年(1855)16才で真打ちとなる。芝居話で人気を博し、元治元年( 1864)から4年間にわたり東両国垢離場(こりば、現・墨田区両国)の昼席で真(しん)を打ち続けるほどの人気者となった。(概略台東区説明板による)  明治9年(1876)秋、円朝は本所南二葉町23番地(現・墨田区亀沢)にあった旗本下屋敷跡500を買い取り移り住んだ。 庭は、割下水(わりげすい=堀割)から水を引いて池をつくり、多摩川の橋材を用いて庵室の柱とするなど、円朝の生涯のうちで最も贅沢で工夫を凝らした邸宅だったといいます。また、三遊宗家の故藤浦富太郎の記憶によれば、庭の隅には方形萱葺き屋根を乗せた2坪半ほどの庵室があり、円朝は就寝・食事・入浴以外のすべての時間をこの庵室で過ごして創作を行っていたようであったとしています(『明治の宵』)。
 円朝は、新宿へ転居するまでの約10年間をこの本所南二葉町で過ごしましたが、ここで円朝作品のうちで最も有名な「怪談牡丹燈籠」「塩原多助一代記」の噺を速記本として刊行し、「松操美人生埋(まつのみさおびじんのいきうめ)」「鶴殺疾刃庖刀(つるころしねたばのほうちょう)」「月謡荻江一節(つきにうたうおぎえのひとふし)」などの噺を創作した。
 他に「真景累ケ淵」、「文七元結」等を創作した。本業以外にも多彩で、歌道、和歌、俳句、書画、骨董(の目利き)等にも秀でており、建築、作庭にも秀でていた。晩年、内藤新宿に自邸の数寄屋作りの建物や茶室をこしらえ、百坪当たりの枯山水の庭園は見事であった。 写真は第8話「文違い」に有ります。この当時は落語から離れて禅に興味を示していた。明治33年(1900)8月11日、下谷車坂の自宅にて死去した。 享年62才。墓石には山岡鉄舟筆による「三遊亭円朝無舌居士之墓」とある。晩年収集した”幽霊画”は有名で、命日には全生庵で公開される。
 この噺「お若伊之助」も円朝作と言われています。

円朝顔.jpg



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円朝墓地.jpg

【まとめ】

桂歌丸師匠の今後についてで、驚きました。「じっくり落語を勉強したいと!」芸の道に終わりはないなどといわれますが、この年齢になってもまだ勉強したいと言われるとは!


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